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2017年9月28日 (木)

差別表現への抗議は過剰だったかという話

性指向について差別偏見侮蔑的な描写をすれば当然に抗議があるわけであって、表現に対しての各種の抗議が過剰かどうかは個別の事例ごとに判断すべきですし、概ね昭和末期から平成前半くらいまでに許されていた表現は、やはり問題があると認識されて使われなくなっていると考えたほうがよいように思います(それが、製作者の意識向上か面倒ごとと避ける意識からかどうかはわかりませんが)

この種の差別偏見侮蔑的な描写への抗議や、あるいは表現者の取り下げをことさらに嫌悪する人たちは、たぶんそういう描写をされる性的少数者の側の「うんざり」を理解できないのでしょう。でも、このツイートの人の『PS4、漫画、バラエティと映画(最近はアマゾンのプライムビデオがお気に入り) 』とかいうの、二昔前はたぶん差別偏見侮蔑的に描写される側の趣味だったと思いますよ。今それなりに好意的に取り上げられることも増えてきたのは、過去に抗議した方々の尽力のおかげだと思うんですが、やっぱりこれも過剰抗議による萎縮ですかねえ。

違わないですよ。いい大人だから怒るんですよ。

こんなもん目にした人が批判してるのが正しいんですよ。しなかったらしなかったで「あれは批判するのにこれは批判しないのかよ」が出ますから。何しても馬鹿は文句言いますから、いかんもんはいかんと声を上げるのが正しいのです

「ケチをつける」(ケチではなく批判)する側の心の余裕を奪っているのは保毛尾田保毛男をやる奴や見て笑う人たちなんですよ。性的少数者を奇異に描いて笑うということをしなければ、心の余裕はその分生まれます。そもそもなんで表現を批判することが「ケチをつける」になるんでしょうか。被害者意識が過剰すぎでは。

性的志向をあげつらうなって、そんなに難しいことですかね。

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