大体全文のほうがさらにろくでもないという話
「ヒトラー、動機正しくても駄目」=麻生氏が再び問題発言 https://t.co/mLZEgvbrP7
— 時事ドットコム (@jijicom) 2017年8月29日
麻生氏あたりがなんか言いそこねると雲霞の如く「全文を読め」「文脈を読め」「切り取るな」「曲解するな」等々を述べる人たちが現れるんですけど、大抵の場合全文読もうが文脈読もうが切り取らずに読もうが素直に解釈しようが、どうしようもないことがほとんどですね。これの全文がどういうふうにくっついたらヒトラー擁護に見えない文脈に素直に取れるような文になりますかね。ちょっと見当がつきません。
わかるのはわかるんですよ「(私は正しいとは思わないが仮に)動機が正しくても駄目だ」という意味が取れるのは。でも「(私は正しいと思うけど)動機が正しくても駄目だ」の文脈にも取れるのであってこういう言葉の使い方の雑なところを甘やかす必要がありませんね。それから、麻生氏の今までの言動から言うと肯定的に取ったほうが自然ですからね。
麻生太郎氏「動機が正しくても何百万人殺したヒトラーは駄目だ」
①発言の文脈はどうだったか?
②ヒトラーの「動機」とは何を指すのか?
③その動機は問題か?
この手の話は①から検討が必要。②と③を確認せずに非難する者は恥ずかしいよ。https://t.co/7g3KO4SXo6— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2017年8月29日
別に麻生さんが「ひとらーの政治家になった動機は正しいが結果が悪かった」って言ったわけじゃなく「万が一ひとらーの動機が正しかったとしても」って話なんじゃないの?正しいって断定してないとしたら文脈によってはかなりひとらーに対して否定的文章ってことになるが編集されてない全文ないのかな。
— 蜜は夏の新刊感想待ってるよ💕 (@Mithumith39) 2017年8月29日
『「万が一ひとらーの動機が正しかったとしても」って話』をしたいなら「万が一ひとらーの動機が正しかったとしても」って言えばいいし、そもそもの話として万が一にもヒトラーの同期を正しいものとする仮定を持ち出すなよっていう話ですよ。センシティブなことなんですから。こういうとこが麻生氏は雑なのに支持者は甘やかしますよね。
麻生太郎の態度は以前から一貫していることが判る。
もはや文脈の問題ではない。https://t.co/FIgXPIZ32n— みなしご (@minasigo1103) 2017年8月29日
これは本当に同感で、麻生氏の考えは数々の発言から「失言」ではなく「本心」だと見て取れますね。
麻生副総理 派閥研修会でのヒトラー発言を撤回 #nhk_news https://t.co/LR1OVhZMNO
— NHKニュース (@nhk_news) 2017年8月30日
悪いとも間違いとも思ってないし、またやるでしょ。きっと。
「いくら動機が正しくとも、何百万人も殺したヒトラーは、だめだ」という言明と,「ヒトラーは動機においても誤っていたことは明らか」という説明の論理的整合性はいかに,とかそういうこと真面目に考えない人間でなければおよそ支持できないよな…
— Erscheinung41 (@Erscheinung35) 2017年8月30日
「政治家になろうとした動機は、私は問わないが、結果が大事だ」に続いて「いくら動機が正しくとも、何百万人も殺したヒトラーは、だめだ」なので、話の構成としては「動機× 結果○」と「動機○ 結果×」を対置していることになる。https://t.co/08N0bHiIDR
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年8月30日
つまり「政治家にとって結果を出すことが、すべてであるということを申し上げたかったもので、この点を強調する趣旨で、悪しき政治家の例としてヒトラーを挙げた」というのは「結果×」という意味での「悪しき政治家の例」と考えるのが自然で、「動機○」が前提でないとあそこでヒトラーは出てこない
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年8月30日
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