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2015年8月 1日 (土)

まんが:手塚プロダクション/シナリオ:青木健生 『まんがで語りつぐ広島の復興: 原爆の悲劇を乗り越えた人びと』(小学館クリエイティブ単行本)2015/07/10

まんがで語りつぐ広島の復興: 原爆の悲劇を乗り越えた人びと (小学館クリエイティブ単行本) まんがで語りつぐ広島の復興: 原爆の悲劇を乗り越えた人びと (小学館クリエイティブ単行本)
手塚プロダクション 青木 健生

小学館クリエイティブ  2015-07-10
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企画・立案は中国放送。原爆をテーマにした漫画作品というと古くは『はだしのゲン』、近頃の作品であれば『夕凪の街 桜の国』など、原爆の惨禍に翻弄されながら生きる個々人を描いたものが主でしたが、本作は原爆投下後の復興を担った企業人の物語となっています。中国放送の主要株主であり、原爆投下3日後には新聞を発行した中国新聞の項がないのは謙遜でしょうか。

「第1章 復旧最優先!“水道・電気・ガス”」 インフラも壊滅的被害を受けた中、市の水道部が当日午後には水道を復旧。翌日には中国配電(現・中国電力)も電気を復旧。ガスは広島瓦斯(現・広島ガス)が、役員の死傷などで経営麻痺状態に陥ったり復旧途中に9月の枕崎台風に見まわれつつも翌年には復旧。復興の原動力となったのでした。

「第2章 市民の足、路面電車を動かした女学生」 広島電鉄が労働力不足解消のため設立した、広島電鉄家政女学校。話題になったネット漫画の「原爆に遭った少女の話」、RCCラジオのドラマ「青い653号 ~未来へ駆けるヒロシマ被爆電車」、NHKの「一番電車が走った」など、同校や一番電車を扱った作品がいくつか作られています。3年の課程の学校が2年半で廃校になり同校を卒業した生徒は一人もいません。しかしながら被曝3日後には運行を開始した市電は、罹災した市民の足として、かつての街を思わせる希望として映ったに違いありません。

「第3章 被爆2日後に営業再開した12の銀行」 かつての臨時首都で、軍都として栄えた広島は経済でも中心的な街の一つでした。ほとんどの銀行が人的にも施設的にも被害を受けた中、爆心地からわずか380mの場所にあった日銀広島支店はその堅牢な造りと、偶然にも前日に終了した防空対策で建物と金庫内の現金・帳簿・有価証券等を守りきり、各銀行への支援を始めます。8日には市内十二の銀行が営業を開始。通帳や印鑑を失った預金者の自己申告で払い出しを行いました。後々帳簿を突き合わせても、問題となるような違いはなかったとのこと。

日銀広島支店のHPにも当時の様子の史料があります 原爆投下時の日銀

またページ内のリンクは見つからないのですがOBの方が60周年の折に日銀広島支店と広島の街の復興について語った思い出話のPDFも 被爆から蘇った広島 ...

「第4章 活気づく広島の商い」 統制の厳しい中、営業を再開した福屋百貨店。また、駅近辺では闇市が立ち、気鋭の商売人たちが頭角をあらわし始めます。その中には現在のいづみ・フジ・4℃・イズミ・エディオンなどが。壊滅した本通り商店街もかつての商店主たちの熱意で復活。街の人にモノをという良心と、モノがないからこそ売れるのだという商魂、商売人の熱意が活気を取り戻す力になっていきます。

「第5章 輸送のかなめ“三輪トラック”」 大阪でポンプを開発し大ヒットさせた松田重次郎。社名を東洋工業とし、長男恒次の提案で自動車開発に乗り出し、昭和6年に三輪トラック「マツダ号DA型」を発売。ゾロアスター教の光の神アフラ・マズダーにもちなんだ名称で、広島のみならず日本のモノづくりの牽引役を目指しますが、日中戦争が始まると不要不急品の三輪トラックは作れなくなり軍事関連機械を生産することに。広島の壊滅と終戦で軍需機械から再度民生品を作ることになった同社は、志の原点でもあり復興の足でもある三輪トラックに賭けることになります。物資不足の中、軍の払い下げ品やかつての呉工廠出身者など戦争の残したものにも助けられつつ、平和な世の中で使われるモノづくりへ邁進していきます。

「第6章 ともに学ぶ“学校”の再開」 東京高等師範学校(現・筑波大学)についで二番目に高等師範学校が設立された広島は「教育の西の総本山」とも呼ばれ、軍都として人材育成の必要があったため多くの学校が作られさながら「学都」の様相。しかし戦争は教育現場にも影を落とし、軍事教練の必修化や出征、軍需産業や食糧増産などに動員されていきます。厳しくなる戦局の中、国民学校の三年生以上は疎開することになりましたが、疎開しなかった子供たちの命は失われてしまいます。丈夫に作られていた建物は残ったものの、救護所として使われ教育どころではない状態。しかしながら、生き残った教育者たちは子供たちの未来こそ広島の未来と、授業の再開に動き始めます。私学でも石田学園や修道中学などが9月には授業を再開。国民学校も10月には授業を再開。設備も教材も満足でないものの、学ぶ喜びを取り戻したのでした。

「第7章 平和を願う街づくり」 市長が死亡し、半数以下しか集まれず成立しない市議会は「全員評議会」で話し合いが行われ、衆議院議員・木原七郎が市長に。市長は市の特需課長・浜井信三を助役に任命し復興に当たります。計画策定の中で、復興局長・長島敏より、投下後の火事とその後の枕崎台風を念頭に、市内中心部に幅100mの道路を通す案が。それだけの土地があれば多くの住宅が作れるという意見もある中「平和都市」という大方針が決まり、街づくりが動き始めます。木原退任後、浜井は初の民選市長に。一年後には平和祭、二年後には平和宣言、一歩ずつ進んでいく平和都市への歩みですが、財源がないため肝心の街づくりは停滞。資金を引き出すため、新憲法下での特別法制定を利用し「広島平和祈念都市建設法」を国会に提出します。法案は満場一致で可決され復興補助金や国有財産の無償譲渡が受けられることに。また、広島の財界人が呼応して結成された「二葉会」の協力・出資で平和記念公園内の公会堂、バスセンター、市民球場(旧)などが作られ、昭和40年には「平和大通り」と名付けられた念願の100m道路が完成。浜井はその後も原爆ドーム保存運動や資金集めなど平和都市作りに尽力。市民の財産として残された平和大通りでは後にカープ初優勝のパレードが行われ、それを期に具体化した「フラワーフェスティバル」は現在まで続き、国内最大規模の祭りとして広島の生命力を体現しています。

「第8章 心の糧を求めて“映画・音楽・本”」 人が集まり、お金も集まるところには文化も花開きます。産業奨励館をはじめ、かつてあった洒脱な建物も、そこで行われていた文化的な営みも原爆で大きな痛手を受けました。しかし、苦境の中でも(あるいは中だからこそ)楽しみは人を力づけます。麒麟のビヤホールは9月に残った建物を使って営業再開、経済界が中心となって発足した中国復興財団は喫茶店を設置。翌年には映画館が復活、図書館・書店やダンスホールなども再開されていきます。行政がインフラ整備に手一杯で文化・娯楽にまで手が回らない中、音楽茶房ムシカ店主の梁川義雄は「国際文化協会」を立ち上げ文化・文化娯楽の普及に努めます。また雑貨商の世良進は書店専業となり、図書館のような品揃えの店を目指し会社名を「フタバ図書」と改め事業の拡大に邁進。書籍だけでなく、音楽・映像作品の取扱い、ネットカフェなどを展開し、今も広島の人々に娯楽を届けています。

「第9章 広島の名物“市民に笑顔を”」 復員兵の大谷照三は、工業学校出身で得意のモノづくりを活かそうと広島市内で鉄工所を興そうとします。しかし良物件は見つからず勧められたのは、駅前空き店舗を使った駄菓子屋。鉄工所が見つかるまでのつなぎながら、近所で店を出した「タカキのパン」に刺激を受ける照三。実はヤクザに目をつけられているいわくつきの店舗と判明するも、広島に錦を飾るという決意で付けた「錦堂」の名と予科練仕込みの度胸で撃退。その後事業も軌道に乗っていき、自社製品の販売を模索。ある日見かけた手焼きのもみじ饅頭をヒントに、ガス焼きのもみじ饅頭に着手。成功して広島を代表する菓子になってからも、製法特許を取らず他社が模倣するのをむしろ競争として歓迎します。一方、照三が刺激を受けた「タカキのパン」は「タカキベーカリー」となり、原爆にも耐えた旧帝国銀行広島支店の建物を活用して「広島アンデルセン」を開店し、食文化を発信し続けています。また、不足する栄養を満たしたいという願いの込められた「カルビー」、市民の空腹を満たした十銭洋食から発展したお好み焼きなど、今も愛されている広島の味が生まれたのも戦後の復興期でした。

「第10章 市民球団・広島カープ誕生!」 トリを飾るのはやっぱりカープ。戦前から野球どころとして名を轟かせていた広島。戦後プロ野球が再開され、ニリーグ制になることが決まると、広島に新球団をという機運が高まります。きちんとした親会社がないのを逆手に取り、県民市民の球団として設立。かつて広島商業を連覇に導き、前年まで太陽ロビンスを率いていた石本秀一を監督に招聘。喫茶店のマスターをしている元選手までかき集め、巨人からは地元出身の名遊撃手・白石勝巳を助監督兼任として獲得。公式戦にこぎつけますが、初年度から球団経営は火の車。翌年には資金不足から大洋との合併や解散話が。それを聞きつけた市民の「樽募金」で資金難は解消……と思いきや翌年には7球団の日程難を解消しようと、勝率三割を切るチームの解散が決定されます。これは前年三割を切ったカープをほぼ狙い撃ちしたもの。奮起したカープはエース長谷川を中心に三割を超えて最下位脱出。最下位で三割を切った松竹ロビンスが大洋と合併消滅することに。最大の危機を乗り越えたものの、「西から日が昇ることがあっても、カープが優勝することはない」とまで言われるほど長く低迷が続きます。それでも応援するファンの後押しや、ドラフト制導入から10年経っての戦力均衡、広島への新幹線の開通などの追い風もあった1975年、この年から赤に変わったユニフォームで「赤ヘル旋風」を巻き起こし初優勝。この時の優勝パレードが後のフラワーフェスティバルにつながっていきます。

 

冒頭でも触れたように、広島復興に当たった行政や企業人を描いているため『プロジェクトX』的な趣き。実際にプロジェクトXで取り上げられたカープや、ドラマ化されたオート三輪などもあるように、苦境にありながら克服して復興に取り組む物語は希望に満ちたものです。その観点でいうと「広島電鉄家政女学校」はやや異色で、復興の力になったものの女生徒たち自身は報われないまま故郷に帰らざるをえなくなっており、実際には復興に尽力しつつも諸々の事情や力及ばずで無念な想いをした人も少なからずいらっしゃるのだろうなと。だからこそ、後の世代に残された有形無形の「平和」は維持発展させていかなければと思う次第。70年目のその日を前に想いを新たにし、平和な時代で行われるカープの「その日」の試合を楽しみたく。

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