根は無くとも事は実る
『「マスゴミ」と呼ばれ続けて』の続編が出ました。
時代錯誤の舞台装置はもういらない---続々・「マスゴミ」と呼ばれ続けて - ITpro
記事のタイトルを、『「ネット弁慶」と呼ばれて』にしようかと思ったのですがしつこすぎますよね。
『千三つ屋』はダブルミーニング - カワタカ技研ココログ工場
続・「マスゴミ」と呼ばれ続けて(友人座談会編) - カワタカ技研ココログ工場
それにしても前回の怪しい座談会で終わりかと思ったらまだ続けてくる力の入れっぷりには感服します。今回の座談会は『やっぱりプロは違うな』と思わせるだけのものがあります。前のと比べて論旨が的確。
佐々木氏:自分で考えたことを自分の名前で書くという方向に行くべきでしょう。そして,記者個人が専門家になることも重要です。例えば,日経コミュニケーションの記者などは,通信業界の人よりも通信について詳しいので(筆者は含まない),そういう記者であれば誰も「マスゴミ」と馬鹿にしないでしょう。世の中の人たちすべてに同じ記事を読んでもらうことは時代背景上,成り立たなくなっているので,細分化してきた情報圏域ごとに的確かつ深い情報を届けることが,これからの記者には求められています。 専門家によるブログには詳しい情報がありますが,そこには公平性の担保がないことも多いです。やはり,多用な視点が取り込まれているか否かは重要で,一つの事象についてAさん,Bさん,Cさんに取材をし,そのバランスを取って記事を書くことは,記者にしかできません。入念な取材と多用な視点からの深い分析に裏打ちされた論考が,求められています。 |
読者が求めているのは、詳しさとか公平性ではなく正しさのような気がします。正しさが前提にある詳しさでなければ今と同じです。ここでいう正しさは、思想的な正しさではなく事実関係の正しさのこと。バランスなんか端から求めません。どうせ書く記事の取捨は一定の恣意に基づいて偏るに決まってますから、A紙は○について書いたけどB紙は書いてないというようなところから読み手がバランスを取るほうが現実的ではないでしょうか。
阿部氏:我々ジャーナリストの役割はモノローグではありません。ブログはそれでもいいのかもしれませんが,我々の最終的なミッションは,“裏を取る”ことであり,それができることこそが,ジャーナリストの信用であり,生命線なのです。 ただ,裏を取るということは簡単ではありません。相当の修練や人脈が必要で,それらは時間も労力もかかるし,これといった解があるわけでもありません。プロのジャーナリストである以上,自らの特権は「一次情報に触れられる」というところにあるのではなく,「裏を取れる」というところにあることを意識し,それをフル活用した記事を書くことこそが,我々の仕事の本質です。それができている以上,その記者は決して,マスゴミとは言われません。 |
モノローグは盛大にやって、続報や訂正記事は極小なんてのもよく見ますし、生命線である裏取りがズタボロで素人以下だからゴミと呼ばれるんじゃないかと。簡単ではないといいますけど、公式な統計を少し見たら分かる程度の調べもしない(あるいはできない)のに一次情報の裏取りができるのかどうかは疑問ですね。せめて、よく調べてる素人くらいは調べていてほしいものです。
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