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2006年4月29日 (土)

脱・体育会的思考のすすめ

 これが教育だというのにも驚きますが、拍手で迎える支援者がいるのも驚きです。

以下引用

 厳しい体罰で訓練生4人が死亡した「戸塚ヨットスクール」事件で、傷害致死罪などに問われて実刑が確定、服役していた同スクールの戸塚宏校長(65)が29日、刑期を満了して静岡市葵区の静岡刑務所を出所した。戸塚校長は「体罰は教育」などと改めて独自の教育論を展開。スクールをはじめとする活動に今後もかかわっていくという。
 29日午前、刑務所正門からスーツ姿で出所した戸塚校長は、少しやつれた様子。支援者が拍手で出迎えると「ありがとう」と笑顔で迎えの車に乗り込んだ。戸塚校長はこの後、静岡市内で開かれた記者会見で「(傷害致死を認定した)裁判所は私のやってきた教育活動を否定している。業務上の過失を問われるなら納得していたが、故意犯とされたので今後争っていく」と、今後、再審請求を検討すると述べた。
 一方、死亡した4人への心境を問われると、「体罰は教育です」と強調したうえで「4人を悼む気持ちは裁判でさんざん言ってきた。何度言っても反省がないと言われるが冗談じゃない」と語気を強めた。【井崎憲】

(毎日新聞) - 4月29日19時42分更新

引用以上

 子供を追い込んで死なせてしまうののどこが教育か教えてほしいもんです。サラ金の追い込みで債務者が死ぬのも商行為ですか。仮に教育方針自体が間違っていないとしても、それだけ死人が出るのは方法に何らかの問題があると考えたりしないんでしょうか。そもそも、手加減もろくにできない教育者に育てられた子供が社会に出てまともにやっていけるかどうか甚だ疑問です。

 『健全な精神は健全な肉体に宿る』という言葉があります(僕はこの言葉がすごく嫌いです。誤訳らしいですが)。体を動かすのは心(反射を除く)ですから、心のコントロールと体のコントロールが密接に関係しているという主張もわからなくもありません。ただ、体罰のコントロールができなくて子供を死なせる大人って、心のコントロールができてると言えるんでしょうか。

 子供を虐待する親の中に『躾のため』という言葉を吐くのがいて胸くそが悪くなるのですが、戸塚ヨットスクールとその支援者には同じものを感じます。死ぬまでやるのなら教育の意味がありませんし、死ぬほどやらなきゃ教育できないのなら己の技量の低さを痛感して、教育なんぞやめてしまえばいいと思います。

 最後に付け加えると、この文章も日本の将来を憂いて書いたものなので名誉毀損で訴えたりとかしないで下さいね。

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