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2006年3月 1日 (水)

2006,3,2

プロジェクト何とかの続き 2006,3,2
カワタカ。2000年秋場所に斜行グレードの名でデビュー。
翌2001年春場所ではますざぶウォーズ中国地方代表入り。チームは準決勝まで進んだ。
次の目標は、秋場所に行われる『ますざぶダービー』。
ますざぶの中で最も古い歴史を持つサブイベントだった。

2000年春のダービー出走者は約20名。カワタカは19位タイ。出走は確実に見えた。

翌場所。出走表に、名前はなかった。『なぜだ!?』

原因はキャラクターの薄さだった。
新人ランカー連合。デビューが、一月早すぎた。
みじかP.N共同体。ペンネームが、一文字多かった。
ペンネーム変えた組。変えたのは、前の場所だった。
その他のどのチームにも当てはまる要素は、なかった。

『ならば次のダービーを目指すまで』
カワタカ、闘志を燃やした。
その場所。49ポイントを叩き出し、9位。『これなら出られる』
だが、翌場所ダービーは開催されなかった。

その後もカワタカは細々と投稿を続けていた。
『ダービーに出るまでは…』そう決めていた。
2003年秋場所終了。翌場所のダービー開催が告知された。
カワタカは40位あたり。出場は、微妙だった。

ハガキを、送った。
『大外枠でもいい、賞金もいらないからダービーに出してほしい』
想いを、託した。

翌場所。出走表に、名前はなかった。
『もう、だめなのかもしれない』
以降のダービーは諦めようと思っていたある時。
行事の一言に、目がとまった。

『お前のネタは、いちいちエロワードが出てくる』
『本誌の決断』で、カワタカ自身に向けられたものだった。

『これだ!!』
カワタカ、思わず叫んだ。
ダービー開催が発表されるまで、ひたすらエロネタを送った。
『最低の名も、甘んじて受ける』
覚悟を、決めた。

2005年春場所終了。翌場所のダービー開催が発表された。
カワタカ、再び出走希望のハガキを書いた。
『ネタにいちいちエロワードが出てくる人と組ませてほしい』
速達で、送った。

翌月、不安を抱きながら誌面を開いた。
ますざぶダービー、出走表。想いは、届いた。
16番『真性オゲレツ学園』。図らずも競馬では八枠でピンク色の番号である。
屈指のエロネタ使いたちが集められていた。

下村ゲソン。新進気鋭のエロネタ使いである。
ダン乳。上半身、だった。
勃起。下半身、だった。
武田退勢。社宅でスワッピング祭の名も持っていた。
牝馬のアナルフェチ。元、BIWA・H。カワタカと共にウォーズの中国代表だった。

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